二百年の歴史に、英傑たちの想いを伝えて。
料亭青柳の歴史は江戸時代にさかのぼります。
丸山より一段高いこの場所は平時は草地でしたが、梅園天満宮の大祭時などには、芝居地や相撲興行地として使われていたため、興行師などが滞在する宿屋として料亭春若屋・料亭杉本家がつくられました。
料亭杉本家は幕末には佐賀藩士だった大隈重信や長州藩士だった井上馨(聞多)などが訪れて国家を論じ合ったり、浪花節『忠臣蔵』を書いた鈴木天眼が西郷四郎などと訪れたといいます。
また、芸妓愛八の往した時期もあります。
一方、料亭青柳の初代:山口貞雄が起業時に東浜町の青柳を譲り受け、第二次大戦で一時中断しますが、昭和二十三年に旧料亭杉本屋を購入し、料亭を再開しました。
昭和三十年からは平和祈念像建設のため彫刻家:北村西望翁が亡くなる前年まで毎年足を運んでいました。